いつの間にかできるようになっている

一ヶ月ほど、休暇をとって過ごした。

休暇といっても昼間の仕事を休むわけにはいかないので、それ以外の執筆や、語学の勉強や翻訳を休んで、ひたすらぼうっとしていた。滅多に活動してくれない、好きなアーティスト達が動き始めた時期と重なったので、いつもよりも熱心に音楽を聴いて過ごした。SHERBETS、Radiohead、坂本慎太郎。今年は音楽の運が良くて、今月と来月、生演奏を聴きにいくことになっている。

昔は上手く休めなかった。大学を出て働き始めると、明確な「オフ」の時間が生まれたことがかえって物足りなかった。企画を考えたり勉強会へ参加したりと、寝る直前まで予定を詰め込んだ。休息の大切さをわかっていなかったのだと思う。そのおかげで身体を壊し、生き方について考え直し、ここ二年ほどでようやく自分らしいペースを掴んできたような気がする。

先月の私が何をしていたかというと、スコーンやケーキをたくさん焼いて友人を招いたくらいで、それ以外に「何かをした」と言えるようなことはなかった。昼間の仕事をこなすだけの自分につまらなさを感じるどころか、のんびり過ごすのは良いこと、と老婦人のように思っていた。こっそりとある企画を進めてはいるけれど、それも「何かをしている」と意識するほどの気負いはない。

他にも自分ができない物事に対して、悩んだことがあった。学生時代、私は何故か「大の字になって眠る」ということができなかった。自分の手が身体のどこかに触れていないと不安になるのだ。体育の時間(私の通っていた大学は体育が必修だった)、指導員に指摘されて初めてそれに気がついた。何度か意図的に大の字になろうとしたけれど、無理だった。けれどそれはいつの間にか解決し、今では堂々と大の字になって眠っている。

もちろん、できないことはまだたくさんある。それらのうち、できるようになりたいと心の奥底で思っていることの三割くらいは、いつの間にかできるようになるんじゃないか、なんて甘い期待を抱いている。

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