横浜について

私が横浜に住み始めたのは五歳のときで、そこからアメリカに渡るまでの五年間と、帰ってきてから東京へ移るまでの十二年間、つまり合計で十七年間暮らしていたわけなのだけれど、驚くほど愛着がない。最近、友人と山手の洋館を巡り歩いてみたものの、目にしたのは少なからず人工的に作られた情緒さだった。見どころは洋館それ自体よりも、洋館の修復にかけられた情熱だったように思う。当時の壁や家の部品を丁寧に保管、展示し、ボイラー室まで忠実に再現されていた。それも横浜が横浜であろうとする、ひとつの意地と言えるかもしれない。

横浜の中心部よりはやや南よりの、藤沢や鎌倉に近いところに住んでいた人たちならば恐らく同意して頂けると思うのだけれど、同級生と週末に会うとき、横浜駅まで出かけるのは些か面倒だった。どこへ行くにも薄汚い繁華街をすり抜けて行かなければならかったし、人が多すぎて腰を落ち着ける場所を見つけるのは一苦労だった。鎌倉や茅ヶ崎まで足を伸ばしたほうが気持よく過ごせたし、海や空を広々と見渡した記憶が鮮やかに残っている。

生まれる前から工事が行われている横浜駅は、私の思春期時代は輪をかけて騒々しかった。今ではみなとみらい線が開通し、ホームや通路も広くなったけれど、それまでは本当に酷い場所だった。未だに工事を続けているというから呆れる。名のある大学に子供を行かせるため、進学校へ通わせることに躍起になっている大人の多い地域で過ごしたせいか、横浜駅を見ているとその薄暗い記憶と重ねあわせてしまう。美しく描かれた未来を夢見て、今の姿を顧みず、耐え忍んで邁進する。本当にそんなやり方しか無かったのかと首を傾げてしまうのは、私だけだろうか。端から見ると恵まれた環境で育った友人たちが、一言では片付けられないような心の闇を抱えていたことを今でも時々思い出す。

離れて暮らせば良さが見えてくるかと思ったけれど、そんなこともなく、帰る気も起こらない。故郷に魅力が本当に無いのか、懐かしむことができる程度に世界を見ていないのかは、まだわからない。

ただひとつ拠り所だと思える場所に、お化けが出そうな山の上にぽつんと佇む母校がある。そんな場所にあるも関わらず、方方に散った卒業生が日々訪れていると聞くと、今の自分がそこで築かれたものに支えられていることを思い出して、なんとか胸を撫で下ろすのである。

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