キスを知らなかった頃

“Besame Mucho”という有名な曲がある。邦題は「たくさんキスをして」。どこかで聴いたことのある、しっとりとした曲くらいに思っていたのだけれど、作曲者であるコンスエロ・ベラスケスはまだキスをしたことの無いときにこの曲を書いたと知って驚いた。

キスを知らなかった頃!少女の頃は小説や映画を通して、キスはきっと素晴らしいものに違いないと夢見ていた。こういった手合いのものは幻滅するケースが少なくないけれど、幸いなことに、たくさんの素晴らしいキスをした。もちろん手放しでは喜べないキスもあった。私はごく平穏な人生を歩む少女だったのでそのたびに大変な思いをした。おまけに恋に落ちると大人しくしていられない性質で、面倒な事態を引き起こすこともしょっちゅうだった。

今はもう少女の頃のように振る舞うことは無い(それでも面倒な事態は相変わらず起こる)。傷ついた分だけ慎重になったし、人との適切な距離感について考える癖がついた。それでも”Besame Mucho”と口ずさむと、無謀な少女時代に戻ったような気持ちになる。何しろ「たくさんキスをして」なのだ。

ただ実際のところ、これは悲しい別れの歌だ。「たくさんキスをして」という言葉の後には「今夜が最後かもしれないから」、「あなたを失うのが怖い、この後あなたを失うのが怖い」と続く。歌詞の意味を知ってからは少女が切ない思いを抱えているところを想像して、しみじみと聴き入るようになった。

キスを知って何年も経つ。相変わらず素晴らしいものだと思えるから、キスはすごい。そしてもしかしたら、キスをする瞬間は私が一番少女らしくなるときかもしれない。その瞬間に何も考えていないせいだろうか。脳内麻薬が分泌されるという話を聞いたことがあるけれど、キスというものは愛情表現や快楽のためだけではなく、お互いが何も身に纏っていない幼心に戻って恋をするためにやっているのではないかと、最近になって思う。

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