自分の殻をつくる

自分の殻を破る方法については幾らでも語られているけれど、殻をつくる方法はあまり見かけない。どうしてだろう。別に殻にこもってもいいじゃないか、そうでしかやり過ごせないこともあるのに、と時々思う。

自ら孤独になってじっと耐えなければならないような時期が、誰にでも一度は訪れると思う。私はそういう時、自分の殻をせっせと拵える。まるで勤勉なレンガ職人のように。そしてその中に潜り込む。

昔、「当分誰とも会いたくない」と心底思った時期があった。もちろんそんなことは不可能で、毎日平気な顔で仕事をして、知り合いと会えば笑顔で挨拶した。そのギャップに疲れて週末はずっとブラームスを聴いていた。不思議なことにそれまではブラームスが苦手だったのに、交響曲の第3番ばかり延々と繰り返しながら聴いた。自分では抱えきれない重みに寄り添い得るような曲がこの世にはある。曲に没頭するだけで、世界と私の間に薄い膜が張られるような心地がしたものだった。今でもこの曲を聴くと、茫然としながらスターバックスのソファにもたれかかっていた当時が蘇る。

その頃から数年経って成長したのか、自分の殻をつくる技術は幾らか上達したと思う。自分の殻とは一種の視野だ。自分にとって都合の悪い事実から目を逸らせばいい。見たくないものは見ないし、会いたくない人には会わない。大切なのは自分にとって心地良い状態を作り出すことだ。ただそれが中途半端ではいけないというのが、私の持論である。今この瞬間、これより良い過ごし方はない。そう思えるくらいでなければならない。怪我をした人間が傷を誤魔化しながら無理に生活するよりも、しっかりと休んで治療を受けたほうが回復が早いのと理由は似ている気がする。必要なだけの静けさと時間をその殻の中で得なければ、殻を破る力も得られない。ただの現実逃避と言われそうだけれど、最後に戻ってくることができればいいと思う。現実世界でずっと正気を保つほうが無茶である。

そういうわけで最近は落ち込むことがあっても回復が早い。あまり小さなことで落ち込みたくないとも思うのだけれど、これも時が経てば少しずつ変わっていく・・・かもしれない。

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