スイッチを持つ

誰かに話すたびに笑われるのだけれど、かつて私は「松岡修造スイッチ」というものを持っていた。朝起きて仕事に向かうとき、だるいな、今日は寝ていたいな、と思うときがあるとする。すると私の身体のどこかにある松岡修造スイッチが「カチリ」と音を立てて入る。私はできる!やれる!と燃え盛る炎のように奮い立つ。そして馬に乗った戦国武将のごとく出陣(正確には出勤)するのである。

本当にバカバカしいと思われるかもしれないけれど思い込みの力は恐ろしく、実はさっさと医者に診てもらうべきだった約一ヶ月間、私はこのスイッチを毎日押し続けて乗り越えてしまい、その後倒れてしまった。思い込みの力を侮ってはいけないと深く反省した。他にも反省すべき点はたくさんあったのだけれど。

スイッチを毎日押し続けることには問題があると思うけれど、気持ちを切り替える技術は必要だと生活のあらゆる場面で思う。つまらない失敗をしたからといって暗澹とした気持ちを引きずっても良いことはない。むしろ負のスパイラルに陥ってしまう。一時的に気持ちを切り替え、物事が落ち着いた頃にゆっくりと思い返す営みが理想的だとわかってはいるのだけれど、なかなか実践できない。だから野球のピッチャーを見ていると心の底から感心してしまう。

彼らはホームランを打たれても、デッドボールを投げてしまっても、指示が出るまではマウンドに立ち続ける。「失敗した」と思っても、その次の投球のことを考えなければならない。反省は試合が終わってから。試合中はベストなピッチングに徹しなければならない。すごい世界だ。野球のゲーム自体にも同じことが言える。今日ボロボロに負けてしまっても、明日にはまた別のゲームがある。ラミレス監督も言っている。”Tommorow is another day.” だから野球にはつい毎日観てしまう魅力がある。

スイッチの話だった。

とにかく私のスイッチの反省は、無限にスイッチを入れっぱなしにしたことだと思う。「この期間だけはスイッチを入れよう」と気持ちを切り替え、落ち着いた頃にスイッチを切ってじっくりと振り返る・・・言うは易しだ。地道に訓練していこうと思う。そんなことを書いているうちにヤクルトは先制を許してしまった。頑張れライアン、気持ちを切り替えるんだ。君ならできる。

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