古き良きアメリカ

私がアメリカに住んでいたのは1996年から1998年の間で、当時小学生だった。シリコンバレーには既に多くのアジア人が移住していて、最初に入った学校のクラスの半分近くがアジア人だった。

アメリカで学んだことは刺激的だった。人種差別は過去の悪習で、現代のアメリカは努力すれば誰でもチャンスを掴むことができる。酒とタバコとドラッグは人生を破壊するということを、警察官が小学校までやってきて徹底的に説明する。ハロウィンの夜はハロウィンの飾りがついている家にだけ訪問が許される。グラハムクラッカーにチョコレートとマシュマロを挟んで焚き火で温めると倒れそうなくらい美味しい、などなど。

当時はテロもなく、差別されることもなく、周囲の大人達に厳重に守られて何の心配もせずに育った。小学校のすぐ裏がAppleの本社だったので、学校に寄付された古いマッキントッシュを休み時間に触ることができた。悪いことと言えば日本人コミュニティの窮屈な人間関係くらいだった。私は奇跡的に良い面だけを見て過ごしたのだと思う。だから昨今のアメリカのニュースを見ていると胸が痛む。

私はまだ平和な日本(と言えるだろうか)でのうのうと胸を痛めていられるけれど、母国に帰るわけにはいかないという理由で懸命に生き残ろうとしている人達がいる。その人達の努力抜きで今のアメリカを語ることはほとんど不可能と言っていい。けれど急速に発展する中で密かに生まれ、放置され続けてきた問題とあの国は今向き合っている。

あの頃のアメリカは良かったと懐かしんだり、見放すこともできるけれど、まだ私に何かできることが残っているとすればそれは「一緒に踏ん張る」ことじゃないかと思う。あらゆる人にチャンスが与えられるべきだという考え方や、他人の努力を認めたり褒めたりする文化、良い意味でも悪い意味でも単純なところは、あの国が私に与えた資質だと思っている。それに報いることができたらと最近は思いながら過ごしている。

 

This entry was posted in Essay. Bookmark the permalink.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。