産む自由、産まない自由

幼い頃、大人になったら私はきっと子供を2人くらい産むのだろうと想像していた。それが「普通のこと」で、生きていれば自然とそういう流れになるのだろうと思っていたからだ。けれど大人になればなるほど、そんな想像は遠のいていった。

私は25歳の頃にうつ病になり、当時勤めていた会社を1年半ほど休んだ。その休職期間はもちろんのこと、復職してからも毎日が戦いだった。7.5時間の労働は永遠のように長く思えたし、他人の言動ひとつひとつが気に障った。時折不眠症になることもあり、周囲よりも体力のない自分を自分で責めた。

それだけではない。子を持つ友人が増えると、実際に聞くその多大な労力に圧倒された。妊娠中の通勤ストレスに始まり、つわり、思うように仕事ができないことへの苛立ち、周囲から投げかけられる無神経な言葉。産む前から保育園を探し、産まれてからは育児のストレス。育児方法に対して心無い言葉を投げかける大人たち。こんな苦しみを私は抱えられそうにない。到底無理だ。そう思うようになった。

言うまでもなく、苦しみばかりではない。子供の成長過程を見て喜ぶ友人たちは誰よりも輝いている。けれど自分がそのようになれるかどうかはわからない。

今年私は32歳になる。恋人がいて、体力もそれなりについた。けれど子供がほしいかというと、今はわからない。

世の中が少子化傾向にあることは知っているし、この国に滅んでほしいと思っているわけでもないけれど、だからといって子供を3人産もうという気持ちは毛頭ない。そもそも子供を産むということはとても個人的で、神聖なことだと私は思っている。その神聖さに口を出すような無粋な人間が増えてきたことに、最近は恐怖を通り越して失望すら感じる。

産んでしまえば何とかなるという無責任な言葉、昔の人は平気でやっていたという思慮のない言葉。そういった言葉と、私は無縁の世界で生きていきたい。いつか産みたくなったら産む、そうでないならそのままで暮らす。自然な気持ちの流れで、私は生きていきたい。

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2 Responses to 産む自由、産まない自由

  1. なな says:

    「そもそも子供を産むということはとても個人的で、神聖なこと」「その神聖さに口を出すような無粋な人間が増えてきたことに、最近は恐怖を通り越して失望すら感じる」「産んでしまえば何とかなるという無責任な言葉、昔の人は平気でやっていたという思慮のない言葉。そういった言葉と、私は無縁の世界で生きていきたい」

    私も、心からそう思います。

    心無い言葉を発する人たちに、なんて言葉を返せばいいのだろうと考えます。
    ここでたとえば私が怒ったとしても、軽く嘲笑されるんだろうなぁと思うと、会話をするのも疲れてしまいます。
    「あの人があなた(や家族)のことこう言ってたよ(中身は勝手な想像のお話)」とわざわざ教えてくれる人もいて、本当に驚きます。

    「私は私」と思うようにしていましたが、浅井さんのエッセイを拝読して、「私と同じ気持ちの人がきっとほかにもたくさんいるんだな」と思えて楽になりました。
    私たちがおかしいんじゃない、という自信がもてました(^^)ありがとうございます。
    (アパートメントのリンクよりとんできました)

  2. cheriovodka says:

    コメント頂きありがとうございます。
    気付くのが遅くなってしまって申し訳ありません。

    無神経な言葉を浴びると、疲れてしまいますよね。疲れてしまったら、もうしーらない!となって良いと思います。少しでも自信を持っていただけたようで本当に嬉しいです。

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