戦争

アメリカにいる友人が、外国の人から大統領選挙について聞かれて恥ずかしい思いをしたという。どの国にも馬鹿はいる、と別の友人が言っていた。真実だけれど、さすがにうんざりしてきた。あんな男が大統領になったら、西海岸に行くことになったとしても手放しでは喜べない。だからといって日本がいいとも言えない。ぞっとするようなニュースを見てしまった。首相は個人のことを何だと思っているんだろう。何とも思っていないのだろう。今は何時代なんだろう。

内村鑑三さんが「文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。」と言っていた。時間と諦めない意思だけでそれが可能になるかはわからない。だいたい、未来に託すのはもうやめたい。散々託されて、託してきて、どちらにおいても無責任さが嫌だった。それを繰り返すしかないのかもしれないけど。バトンは渡され続ける。

私がやろうとしていることはそんな大層なものには使えない。確かな一瞬を尊びたい、積み重ねたい。静かな庭を作る。それでいいと思っているのに、武器が欲しくなるときがある。燃やしたり壊したりしたくなる。短絡的、原始的。それをぐっと堪えないと、きっと思う方向へは進めない。

種を植えましょうと言ってくれたひとがいた。冷静になる。樹のようになる。ラッコのように、ロボットのように、オリーブのようになる。

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