世の中はそこまで暗くないかもしれない

先日、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブというキューバ出身のビッグバンドのライブに行った。メンバーの大半が老年で亡くなっていて、ツアーは「アディオス・ツアー」とはっきり銘打たれた。その名の通り、このバンド最後のワールドツアーである。

新しいメンバーに、キューバ屈指のミュージシャン達を加えてのライブだった。彼らの演奏が充分にハイレベルであることは疑いようもなかったけれど、それ以上に老年メンバーの演奏は、この世にこんな美しいものがあったのかと息を呑むようなものだった。オマーラ・ポルトゥオンドは85歳で歩くのもようよう、手をひかれてステージに出てきたものの、変わらぬ歌声でコンサート会場を隅々まで包み込んだ。バルバリート・トレースはリュートを背中に抱え、おどけた調子で、弦を見ずにすらすらと弾いてみせて観客を驚かせた。トランペットのマニュエルはずっと座っていたので、やはり体調を心配させたのだけれど、演奏そのものはずば抜けていて、音の洪水から彼の音だけを耳が自然と吸い上げてしまうほどだった。そして若いミュージシャン達の、ベテラン達と演奏する喜びを感じている様子がこちらまでひしひしと伝わってきた。

私がこのバンドを知ったのはつい2年ほど前のことで、それまではキューバ・ミュージックなんてひとつも知らなかった。このライブも正直なところ、どれだけの人が集まるのだろうと思っていたのだけれど、3千人を収容するライブハウスは満杯で、絶えず手拍子や歓声が響いていた。亡くなったメンバーの映像が映し出されると、涙する人たちもいた。

確かに知名度は低くないはずで、ドキュメンタリー映画は日本でも公開されている。1998年、まだ国交の回復していないアメリカのカーネギー・ホールで彼らは演奏し、アンコールはスタンディングオベーション、キューバ国旗まで掲げられた。今思えば奇跡的な出来事だけれど、それが奇跡とは気づけないほどの幸せに満ちた音を、彼らは奏でるのである。

国内外を問わず、ニュースを見ていると気が滅入ってしまって、そろそろ情報を遮断して過ごそうかと思っていた矢先のライブだったので、心励まされる思いがした。世の中はそこまで暗くないかもしれない、と久しぶりに思えた。決して明るくはないけれど、きっと真っ暗ではない。

遠い異国の老人たちから、不思議な温かさを分けてもらった夜だった。

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