結局桜を見た春だったけれど、不愉快になるほどのことでもなかった。不愉快さについては耐性がついた。良くも悪くも。
五月が終わる。五月をこんなに好きになったのはいつからだったかわからないけれど、夜の徘徊を始めた頃なのできっと中学生の頃からだ。あの頃慰めだったものは今になっても大体の場合において慰めだ。音楽と本と少しの友人。そして海。
検査を前倒しすることになった。これさえなければ順調なのだけれど・・・。アスリートがどこの国に行ってどんな怪我をしても諦めないように、私もそのように振る舞う。アスリートになった気持ちで。
イギリス英語のニュースを聴いて、アメリカの学校の授業を動画で受講し、フランスやらシリアやらスペインやらの輩が集うコミュニティで延々と音楽談義をしている。こういうとき、ラッキーな時代に生まれたと思う。淡々とやるべきことをやりながら、意地を張りすぎてツマラナイ人間にならないような柔軟性を持つ。こう書いているとつくづく踊りたいと思う。
鳥取へ行く予定。それと広島。移動がいささか面倒。鳥取に至っては何年行ってないのだろう。祖母のお墓の前で、カマキリと出会ったことを今でも鮮明に覚えている。祖母は死んでもなお、私を励まそうとしている。
追記。中国にRadioheadファンはどれくらいいるのだろう。