今さら絶望とか希望とか言うつもりはないけれど

好きなひとがニコニコ笑っていると、未来に希望を感じる。

久しぶりに「絶望」という言葉を見かけて、ああ、そんな言葉があった!と思い出した。だって絶望なんて小石のようにそこら中に転がっているから。

いつから絶望を抱えていたかというと、やはり震災後で、震災自体ではそこまで苦しまなかったのに、その直後に起きた出来事で、人生の根底にあってほしいと思っていたものを失ってしまった。

もうこれ以上失うものは無いから、自分の気の済むことをしようと思って、三田の家で好きなことをやらせてもらったり、仲間を集って今の家を作った。それから4年経つ。

そのあいだ、日本はもう駄目だ、と言って出て行ったひともいたし、なんだかんだで日本がいいよ、と言いながら帰ってくるひともいた。どちらの言い分もわかる気がする。去年までは日本なんて見捨ててさっさと海外に行こうと思っていた。今もいつでも出られるように、準備している。

けれど今、私は日本にも海外にも大した希望なんて持っていない。もっと正確に言うと、もう場所の問題じゃない。

自分の周りのひとが笑っていられること、自分が自分に誇れる人間であること。これが大切なことで、生きる場所がどこでも、そこでできることをやればいい。

数ヶ月前からなぜか新しい家の構想が頭のなかにあって、要は「家」というよりは「家と家」のありかた、世俗的な言葉で言うとコミュニティのありかたになってしまうんだけど、心の中では「どんな生き方でも楽しめる方法がある」、そういったものを考えていた。シングルで子育てをするひとも、夫婦も、学生も、一人暮らしじゃないと嫌って人も、必要に応じて声をかけあって、会って、ただ話したり飲んだりできるような距離感を作ること。家と仕事の往復で自分の人生が完結できないことはもうわかりきっているから、安定した基盤と、新しいものを取り入れていく有機性のようなものを作りたい。10代の頃から考えていたことが、ようやく言語化できるようになってきたと思う。そしてこの話が、周りのひとたちから共感を得やすいことが最近わかって、少し嬉しい。

今後何年かかるかわからないけれど、私がどこの国にいても、安心できる場所を作って、「疲れちゃったから来週そっちの国でリフレッシュしたいんだけど」って言われたら、「はいはい」って言いながら部屋と食べ物を確保できるようになりたい。ビジネスじゃなくて、もうそれが当たり前の生活として送れるように。

荒れ果てた野原でも、お腹空いたねって言い合えたら、一緒にご飯が作れる。

何よりも大切なものを失ったと思っていたけれど、まだたくさんのものを持っている。

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