ヴォーク誌が編集長のアナ・ウィンターに対して、”What is your guilty pleasure?”とインタビューで質問したことがある。直訳すると「あなたの背徳的な喜びは何ですか?」。それに対して彼女は”Watching Homeland.”と答えた。Homelandとはアメリカのドラマで、鬼編集長と呼ばれる彼女がそんなことを言うのがおかしかった。
背徳的であるためには、耽美を感じる程度に日常生活から離れていて、それでいて意表をついたものであってほしい。だから彼女の答えは、彼女なりにそのツボをずばりと抑えていたわけである。
では私の背徳的な喜びは・・・と考えてみても、思いつくのは平凡なものばかりだ。夜中にアイスクリームを食べるとか、昼間からウイスキーを飲むとか。耽美の「た」の字もない。私の人生には口に出すことを躊躇うような、秘密の小部屋は一つもないのだろうか?
云々唸りながら考えてみたところ(暇なのだ)、女性観察がそれにあたるかもしれない、と思った。
私は健康そうな女性の身体を見るのが好きだ。特に足。交差点で信号が変わるのをすっとした姿勢で待つ女性や、駅の階段を颯爽と駆け上がっている女性を見かけると、そこから彼女たちの生活を想像してしまう。筋肉のつき方や歩き方から、その人の生活はまるでドラマのように浮かんでくる。足は存外その人の在り方を表しているというのが、私の見解である。
問題は、その官能的な瞬間は自分の意思では得られないということだ。それは雨のように不意に降ってくる。加えて、彼女たちを追いかけるわけにもいかない。私は数秒だけはっと見惚れて、自由に想像を広げ、ほくほくと喜ぶのである。この際耽美かどうかはともかく、あまり大きな声で言える喜びではない。
私が自分の意思で得られる背徳的な喜びは、ブラジャーをつけずに外出することくらいかもしれない。工夫して服を着れば誰にも気付かれないのだ。週末、気を緩めたいときに実践して、悦楽に浸る。もしかしたら私のような女性が周りにもいるかもしれないと思うのだけれど、道行く女性の胸をじろじろと見て確かめるわけにもいかない。背徳的な喜びとは、なかなか孤独である。