ケーキとケーキ

昔はいい大人というと、仕事ができて気配りもできて、美しく装い、笑顔の多い人というイメージがあった。まあ、良い意味でも悪い意味でもイメージ=理想像である。仕事は良いときもあれば悪いときもあるし、人に気を配る余裕が無いときだってある。数日間熟睡できず、とうとう仕事もできなくなってぼんやりと過ごしてしまう日もある。そう、今日という日がまさにそれである。やれやれ。

以前はこういう事態に陥ると、とてつもない罪悪感に襲われたものだった。周りの人間は真面目に仕事をしているのに私はベッドで横になることしかできない。どうしてこうなったのだろう。自分を責めるだけの非生産的な時間がずるずると過ぎていく。完璧主義者を冷めた目で見るわりに、自分の不調はなかなか認められなかった。もちろん妥協しすぎても堕落してしまうので、要は自分がどの程度の生活をしていれば納得できるか明確にしておくことが最終的な落とし所になってくる。

そんな自分に手本となるような人が現れた。その人は私よりも遥かに重い肉体的な負荷を抱えている。落ち込んでいる私を見ては、そのときの自分にできることを精一杯やって積み上げていけば、得られるものが必ずあると何度も説いてくれた。その人はその言葉通りに行動できる人で、仕事ぶりだけでなく人間性の面でも周囲から信頼を得ていた。私は多分に天邪鬼だけれど、この人の足許に及ぶくらいのいい大人になりたいと素直に思う。「調子の悪いときは悪いなりに過ごそう」と思えるようになったのもこの人との出会いが大きく影響している。

駄目なときはやってくる。今の私は昔よりもほんの少しはいい大人になっている(はず)なので、そのときなりの過ごし方を幾つか持っている。長風呂をするとか、何も考えずに好きなものだけ食べるとか。そのうちのひとつがケーキを焼くことだ。バターと砂糖を無心に混ぜ合わせて焼きあがったものを見ると、胸につかえていたものが減っているような気がする。ケーキの焼ける匂いはいつの日も良い気持ちにさせてくれる。

誰かに頼ったり、じっとしてやり過ごすことは相変わらず難しい。自己嫌悪に陥ることも完全に無くなったわけではない。けれど今の自分にできることはこれくらいだろう、続きはまた明日、とケーキを味見しながら思うようにしている。

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