友人との他愛のない会話の中で、私はほとんど淫夢を見ないという話をした。それからすぐ、私は二夜連続で淫夢を見てしまった。滅多なことを言うものではない。
奇妙な淫夢だった。一夜目は図書館で私が本を読んでいるときに、二夜目は体育館のような場所で寝転んでいるときに事が始まった。相手はいずれも現実世界では二人きりで会うことのない、そこまで親しくない間柄だ。けれど嫌な思いをさせたくない人だったので、私は何とか期待に応えようと努力した。問題は周囲に人がいたことだった。相手を満足させたくても行為に集中することができない、非常にぎこちない気持ちのする夢だった。起きてしばらくしてからもバツの悪さと大きな疑問が私の中を占めていた。私は誰かに自分のそういった姿を見られたかったのだろうか?いや、私は自分のセックスを他人に見られて興奮するような性質ではない。
夢なんだからもう少し心楽しいものであってくれたらいいのにと私は嘆いた。相手も状況も選べず、起きたときに疲労を感じるなんて悪夢である。不運にも私の相手をする羽目になった人たちには申し訳ないけれど。もうこんな夢を見ませんように。
不思議なことに私の見る悪夢はダメージが強く、酷いときは半日ほど「嫌な感じ」が胃のあたりに残る。友人にその話をしてみると、自分は夢をコントロールできる、思うままに動くことできて、悪夢はあまり見たことがないということだった。他にも何人かそういう人に出会った。
夢をコントロールできる?自分の意思で動ける?私は目が点になった。私は夢をコントロールできたことがない。筋書きに流されるがままだ。焦っても怖くても身体は思うように動かない。これは自分の深層心理(あるいは運動能力)と関係しているのだろうか。
夢は踏み荒らされたことのない原始林のようである。人類が快楽と利便性を長年追求してきても、夢をコントロールすることは未だ叶わない。それはそれで夢が広がるけれど、たまにはテクノロジーを駆使して良い夢を見させてほしい。例えば舘ひろしとダンスを踊ったり、愛犬とビーチで昼寝をするような・・・せめて今夜は良い夢を見れるように、楽しいことを想像しながらベッドに入るとする。