街に必要なもの

通勤時間や治安の制約を別にしてどのような街に住みたいかを考えたとき、私には2つの条件がある。まず1つ目は素晴らしいパン屋があること。2つ目は気骨のある本屋があること。この気骨のある本屋というのは、本屋が「売りたい」ものがはっきりしていて、売れ筋のものさえ置けばよいといった手法をとっていない本屋のことだ。

実は私が今住んでいる街はこの2つの条件に当てはまっていた。過去形なのは本屋が閉店してしまったからだ。

その本屋は規模の大きい本屋ではなかったけれど、特に買う用事がなくてもうろうろしていると自然と何冊か手にとってしまうような本屋だった。本の特集や置き方からその本が持つ魅力をうまくアピールしていて、普段興味のないジャンルでも、この本屋が薦めるなら読んでみようと思った本が何冊もあった。ヘンリイ・スレッサーの「うまい犯罪、しゃれた殺人」はその一例である。ショーペンハウアーの「読書について」を買ったのもその本屋だった。漫画のラインナップも面白くて、アキリの「ストレッチ」は試し読みできるようになっていたのがきっかけで全巻揃えてしまった。閉店すると知ったときは何日もため息をつきながら過ごすくらいがっかりした。私が思うに、良い本屋は人と本を縁のように引き合わせる。その店は私にとって大切な縁結びを担っていてくれたのである。

美味しいパン屋も2軒のうち1軒が閉店してしまった。私はそのパン屋でパンを買って、近所の公園で一人のんびりと食べるのが大好きだった。コンビニのパンのように柔らかすぎない、しっかりとした生地で、サンドイッチでもロールパンでも何を食べても美味しかった。そこが閉店すると知ったときはやはり酷くがっかりして、この街はどうなってしまうんだろうと思ったものだった。

本屋もパン屋も結局は商売だから、儲かる店が生き残るのが当たり前である。けれど何年か経ったとき、この街は一体どんな姿になっているのだろう。コンビニやファーストフードや、やたら明るい携帯電話のショップが並ぶのだろうか。なんとも虚しい。

もし私が右も左もわからないような土地で暮らさなければならなくなっても、本屋とパン屋があれば少なくとも生活の基盤を立てられるような気がするのである。

This entry was posted in Essay. Bookmark the permalink.

Message?