最近いやなニュースが多い。
私は怒りっぽい性質だから、ニュースを見て腹を立てることは結構ある。「東京オリンピック・パラリンピックのボランティアが集まらないから、ボランティアのやりがいをもっと発信していこう」とか。やりがい。ため息が出る。こんなことを言える人は私とは全く違う世界に住んでいるのだろう。頼むからこれ以上何も言わないでくれと言いたくなる。
「女性は3人子供を生むべき」。これに至っては張り倒したくなる。いや、それだけでは足りない。毛虫だらけのプールに突き落とし、発狂するまで苦しませたい。生む前から保育園について悩み、産休や育休の制度について悩み、子育てと仕事の兼ね合いで悩み・・・子供を持った友人の苦労を見ているとまたため息が出る。1人産んで育てるだけでもすごいことだ。どの口が3人産めと言えるのだろう。
けれどそういった人を批判することと潰すことは別だと思う。
怒ったり抗議するにしても、わきまえるべき一線がある。その人の住所や家族を晒し上げるのは理性のある人間がやることではない。粛々と罰せられるのを見守るのが妥当ではないか。
メディアの取り上げ方もよくないのかもしれない。まるで怒りを増幅させるように延々とニュースを繰り返す必要があるのだろうか。もっと取り上げるべきことが他にもある。国際情勢とか野球とか。攻撃する対象を見つけては嬉々として悪者退治しようとする様は、さながら小野不由美の『屍鬼』の世界である。
それでも昔ギリシャに経済危機が訪れたとき、ギリシャ人が火炎瓶を投げて抗議しているのを見て私は猛烈に感動したのだった。こんな野蛮なことをするほどのことがあるのか。いや、本当にどうしようもないときはきっと火炎瓶が必要になるのだろう。法律や手順などかなぐり捨てて、死にものぐるいで攻撃しなければならにようなことが。大体私だって、充分に平和ボケしてしまっている可能性もあるのだ。毛虫のプールくらい用意しておくべきかもしれない。自分の手では用意したくないけれど。