書きながら生きていく

今までの人生で、死の予感を抱いたことがある。死にたくなるのとは違う。死が近づいてきている、と感じたのである。

その場面は明確に覚えている。具合が悪くて仕事を休んだ日だった。身体が重く、朝方に感じた不調は回復していなかった。当時はそういったことがよく起こった。風邪でもなく、生理でもなく、ただ疲労感と倦怠感に身体が支配されてしまうのである。病院で検査しても異常は検出されなかった。

私は暗くなっていく部屋で横たわっていた。身体を動かせる気が微塵もしなかった。それは一種の絶望だった。多くの人が朝から働き、今頃仕事を終えようとしている。けれど私はその流れに加わることができない。その時強く感じたのである。「すぐにではないけれど、きっと早いうちに私は死ぬ」。

体調を崩せば気持ちが落ち込む。けれどそれは気持ちではなく、お告げのような、もっと実際的な予感だった。私は生まれて初めて生そのものについて考えた。

その予感から二年以上経った今、私はピンピンしながら生きている。トレーニングをするようになったし、食生活にも気を使う。周りの人間より丈夫ではないかもしれないけれど、以前の自分よりは健康になった。ただひとつだけ確かなのは、その感覚を味わってからなにかが私の中で変わってしまった。そしてそれ以来、この世に何を遺して死ぬのか考えるようになった。

私は祖母のことをよく思い出した。祖母は鳥取に住んでいたけれど、私や弟が病気になるとすぐに神奈川まで飛んできた。長電話に付き合い、たくさんの手紙を送ってくれた。彼女の優しさと献身は多くの人が享受したものだったと同時に、多くの人が同じように振る舞いたいと思わせるものだった。

結局私にできることといえば、彼女のように人に尽くすことではないかと考えている。そして私の書く文章についても、いつか、誰かが読んだときに、少しでも心が安らぐものであればと思っている。漂流者が無人島で生きた日数を石に刻むような気持ちで、まだ見ぬ誰かを思いながら、私は言葉をひねり出している。

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