盆栽ビギナーズクラブ

最近、盆栽が気になる。

以前盆栽に詳しい方から国風盆栽展の存在を教えてもらった。それまで私は盆栽と聞くと典型的な風景しか頭に浮かばなかった。日本風の庭、棚、そして棚の上に飾られた盆栽をいじるご老人・・・。けれど国風盆栽展に行ったらそのイメージはがらりと変わってしまった。もちろん良い意味で。

盆栽とは樹木と作り手の深い関わりによって生まれる。心に迫る盆栽は、作り手によって込められた愛がありありと伝わってくる。全体像を見たら、幹や枝ぶり、葉、花、器や苔などをじっくりと見る。盆栽は実は見どころがとても多いのだ。

盆栽展で多く見られたのは黒松や五葉松といった松の木と、真柏だった。私はこの真柏という樹木がとても気に入った。この樹木の特徴は、白骨化した部分と生きている部分が織りなす色彩のコントラストと生命力を感じさせる曲線にある。樹木が白骨化するのは通常、自然界で過酷な状況にさらされた部分が枯れて日に晒された場合だけれど、盆栽の世界ではそれを刃物や薬剤を使って表現していく。枯れて白骨化した部分は、幹の部分を「舎利(シャリ)」、枝の部分を「神(ジン)」と呼ぶ。舎利は釈迦の遺骨のことを指し、まさに生と死がひとつの器の上に表現されているわけである。

盆栽は見上げるように見ることで、樹木が生えている情景を想像しながら鑑賞できる。さらに色々な角度で眺めたり、苔にも注目していると、ひとつの器に収まった盆栽から大きな自然を想像する時間が増えていく。インスタントな情報が大量生産され、消費されていく忙しない世の中で、丁寧に育てられた盆栽は静かな聖域のように感じられる。そして盆栽を育てる人たちにも自然と敬意を抱くようになった。昔の日本よりも季節の過酷さが増しているなか、綿密な仕事を重ねて盆栽を作り上げるのは並大抵なことではない。

盆栽は実は海外でも人気で、インターネットではたくさんの作品を見ることができる。けれどやはり実物から感じられるエネルギーは何にも代え難い。これからは盆栽を直接見る機会を増やしてみようかと思っている。実際に育てるのはまだ難しいけれど、ある程度年を重ねたときの良き趣味になるかもしれない。

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