霧の中へ

イタリアへ行くのなら、まずはミラノと決めていた。江國香織の「冷製と情熱のあいだ」も、須賀敦子が書いた「コルシカ書店の仲間たち」も舞台はミラノだったから。文学のミーハーとして、ローマやフィレンツェよりも、まずミラノだと思っていた。

須賀敦子が働いていたコルシカ書店はすでになくなっていても、サン・カルロ教会はまだ残っているし、跡地にはサン・カルロ書店があるという。頬を刺すような冷たい空気をびしびしと肌に感じながら石畳の道を進んでいると、こんなところに教会があるのだろうかと不安になった。一帯は華やかなショッピングストリートで、多くの買い物客で賑わっている。

教会は地図通り、本当にあった。そこだけぽっかりと開いた穴のように静かだった。観光客はほとんどいない。敬虔そうな信者が数人集まって祈りを捧げていた。教会を出て一周しても本屋らしきものは見当たらず、私は隣のビルの受付の女性に話しかけた。彼女は英語が堪能なカップルを捕まえて事情を説明し、案内をお願いしてくれた。旅先で触れる親切は身にしみる。何度もグラツィエと言いながらついていくと、教会のすぐ脇に本屋の扉を発見した。あまりにも飾り気がないので倉庫の扉かと思うほどだった。開店時間はどこにも書いていない。教会の人に聞いてみたほうがいいと言われると、私はまたお礼を言って彼らと別れた。

結論から言うと、本屋は閉業していた。修道女にLibrarie?(本屋は?)と聞くと、Chiusto(閉店した)と答えられた。明日は?と聞いても首を振るので、まさかと思い、ずっと閉店か聞くと頷かれた。確かに看板はどこにも出ていないし、本屋の前には埃だらけの資材が転がっていた。

このご時世、宗教書が中心の本屋が閉店するのは仕方のないことなのだろう。それでも私はやっぱり寂しかった。教会を神の家と呼ぶのなら、本屋は思想の家だと思っていた。思想を守る主の顔を少しでも見たかった。

深い霧に隠れたり現れたりを繰り返してきたドゥオモのように、またぬくもりのある商いをやるひとが浮かび上がってくれることを心の隅で祈るのだった。長い歴史の街だから、きっとまた、あの扉の向こうに陽射しが入る日が来るだろう。

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