特別なことがたくさんあると疲れてしまう。例えそれが楽しいはずのものであっても。
美術館のギャラリートークを動画で見ることができる。一流レストランのレシピを知ることができる。それと同時並行して、街はいつもと違う風景を生み出してる。誰かが必死に自分を守りながら仕事をしていて、私は踏み外すことのできないステップを守りながら生活している。
特別なことが溢れている生活に疲れてしまうので、「いつもどおり」を探してみる。けれど世の中はいつも通りではないので、それもむずかしい。私のいつも通りといえば、毎朝化粧をして服を着替えることくらいだ。こうすると一日がきたと思う。
意識的にではなく自然と、「なんか良い」と思ったことをやるようになった。明らかに良いことではなくて「なんか良い」くらいのことである。もちろん、ギャラリートークは面白いし、動画を見ながらトレーニングするのだって大切だと思う。ただ、それらが悪いというわけではなくて、受け取りすぎない、やりすぎないようにしている。それらも特別なことだから。だからほんのちょっと良いくらいのことをやる。私なりの防衛手段というか、生き延び方なのだと思う。
ここ数週間、マニキュアを塗るようになった。以前は手入れが面倒だったけれど、今はなぜかそれが楽しい。ルイボスティーばかり飲んでいたのを、ごぼう茶も飲むようになった。前に読んだ本を読み返してみる。こんなふうに、かつての生活でも充分可能であった生活のマイナーチェンジをすることが、私なりの「特別なことだらけ」との距離の置き方のように思う。私には私なりの生活があって、自分なりにそれを彩ることができる。
私以外にも特別なことだらけな世界に疲れて、工夫して乗り越えようとしている人たちがいる。お菓子作りの材料やゲームが品薄になっていることから、そういう人たちの気配を感じる。彼らも「なんか良い」を取り入れながら、少しでも心穏やかに過ごしていてくれたらと思う。