言葉と衝動

私は大抵の場合において、気に入った作家の本、あるいは興味のあるジャンルの本を中心に読む。けれど書店でふと目にした本のタイトルに心を惹かれて、全く知らない本を買ってしまうことがある。CDの「ジャケ買い」に近い行為で、まあほとんど衝動買いなのだけれど、これがなかなか楽しい。

ここ数年で最も惹かれたタイトルは、サマセット・モームの「月と六ペンス」だった。詩的なタイトルだけれど、内容はある芸術家の老人期を追った物語である。神保町の古本屋で見かけて、迷わず手にとった。古い本独特の書体で綴られた長い道のりを、そのタイトルと共に進んだ。読み終わった後も、意味が込められているにせよ、些か詩的過ぎるタイトルだと思っていたら、どうやら京都に同名のカフェまであるらしい。

石井好子さんの「バタをひとさじ、玉子を3コ」は、料理をする人であればそれがオムレツであるとわかるタイトルである。不思議なことだけれど、シンプルな食材をただ羅列しただけで、前作の「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」よりもずっと食欲をそそられるような気がする。これがもし、「バタと卵、小麦粉をたっぷり」だと雰囲気は壊れてしまう。たった2つの食材だからこそ、魅力が生まれたように思う。

これは短篇集の中で発見したタイトルだったので、「ジャケ買い」ではないけれど、ヘミングウェイの「蝶々と戦車」を超えるタイトルには出会っていない。私は戦車の実物を見たことがないけれど、このタイトルを見た瞬間は、野原に打ち捨てられた戦車とその上を優雅に飛ぶ黄色い蝶々がぱっと心に浮かんだ。しかし原題は”The Butterfly and the Tank”であり、これは邦題よりも鮮烈さに欠ける。邦題のみに与えられたタイトルの煌きというのも珍しい。

ジャケ買いの面白さを味わうようになってから、本屋に滞在する時間は驚くほど長くなってしまった。目に入った言葉がどうしても気になる、その下に潜むものを知りたい。その感覚は、恋に少し似ている。

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