一寸先は、

世界の色が変わったように感じる。

薬を飲まなくなったせいかもしれない。
薬を服用している間はあらゆるブレーキを自分の中に持っていた。夜更かししない、人に会う用事をむやみに作らない、ニュースを見ない、その他諸々。幾つかのブレーキは今でも健在で、私の健やかさを保つために役立っている。しかし多くは、以前ほど踏まれない。

夏が終わったせいかもしれない。
夏が終わるといつも寂しい。急に終わってしまうと、より一層寂しい。そして寂しさというのは、世の中の色彩を濃くしてしまう。

短編小説をひとつ書き終えたからかもしれない。
傷ついた女が、海辺の街で暮らし始める物語だった。この物語を書いたとき、私は孤独に寄り添うことのできる物語を書きたいのだと気がついた。孤独に寄り添うということは、全身に槍が突き刺さっても、身動きせず、無数の傷口が癒えていくのをじっと耐え抜くような強かさを持つことだと思う。だから私は、勤勉なアスリートのように―というといささか大袈裟だけれど―、心と身体の調子を整え、鍛えている。

ここ最近、自分の中に、自分以外の存在を感じるようになった。彼(性別は不明なのだけれど、恐らく男性だと思われるので、彼と呼ぶ)は、私が幼かった頃に現れた、目には見えない友人とは異なった類の存在のようで、驚くほど私に近い。近いという表現すら最早危うい。

私は彼を通してある景色を見る。見渡す限りの草原と、ささやかに咲く花々。浅い川、淡い水色の空。幾つかの花は種類まで鮮明で(イヌタデとヒナゲシだ)、私と彼は一本のすらりとした木の隣にいる。あまりにも静かで平和である。そしてその景色はいつ見ても変わらない。

目の前の闇の色をじっと見つめていただけなのだ。冴えた闇も曇った闇もあった。見つめすぎて、春の色が見えるようになってしまったのかもしれない。蝶の夢を見た荘子にこの話をしたら、彼は何というだろうか。

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