朝を想う

先日、久しぶりに眠れなくなった。

私にとって不眠とは厄介な旧友のようなものである。不眠が訪れると、「またか」とか「やれやれ」とか言いながら、心の中に用意してある幾つかの対処方法を実行に移す。昔、睡眠導入剤を飲まないと生活が送れないような不眠を経験した。当時は地獄のような日々だったけれど、こんなふうに耐性をつけてくれたことには感謝するべきかもしれない。

私の不眠への対処方法は至ってシンプルである。

まず最初の一晩は諦めてしまう。そういう夜のようだ、仕方がない、といったふうに。最初の一晩くらいは様子を見てやろうという、寛容さを不眠に対して持つ。

翌朝具合が悪いと思ったら、その日中に睡眠導入剤を用意する。そして眠る前に、パソコンを見ないようにしたり、ストレッチをしたり、温かいものを飲んだり・・・と一通り、不眠に対して一般的に有効だとされていることを行う。

このとき、最も重要なのは心持ちだと思う。「これをやっても眠れなかったらどうしよう」と考え始めたらますます眠れない。「今日は風邪気味だから早く寝ようかな」くらいの気持ちで不眠に挑んだほうが、眠れる確率はずっと上がる。しかしそれでも、「本当に眠れない」と思ったら、睡眠導入剤を飲んで眠ってしまう(もちろんこれは個人的な方法なので、初めて体験する人は医者へ行くことを勧める)。それが続いたら、原因を分析してそれに応じた対策を練る必要がある(大抵の場合における原因はストレスなので、取り除くか、発散する方法を見つける)。

先日私に訪れた不眠は幸いなことに一晩で済んだ。しかし眠れないというのは辛い状況であることに変わりないので、私はベッドの中でため息をついた。そしてやはりこう思った。「また君か」と。

偶然、グリーグの「朝」という曲が手元にあったので、それを聴いた。深夜でもその曲は心にすっと響き、昂ぶりかけた神経を鎮めてくれた。この曲は情景描写が非常に豊かなので、私は目を閉じて、木々の隙間から朝の陽射しがこぼれ、森が次第に明るく照らされていく情景を思い描き、ささやかな休息を得た。

美しい朝を思い描きながら夜を過ごすというのは、思いの外、良いものだったと思う。

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