今夜の集まりは延期になってしまった。
彼女は入院するという。費用は2万7千円。
これ以上転がれないというところまで、くるくると転がってしまうのはどうしてだろう。
彼女は私とはまったく違う症状で倒れたけれど、ひとつ似ているところがある。周囲がとんでもなく「頑張って」いて、自分もその流れに乗る人間なのだと認識して動いていたことだ。じわじわと温度が上がって・・・というやつ。古くからある話だけれど、命に関わる、切迫した問題として扱われないので、2015年が終わりかけた現在でもあちこちで起きる。そう、また人が死んだ。
頑張ることは良いことだ。だから頑張れない自分は怠け者なんだ。駄目なんだ。悪いんだ。どんなに辛くても、「頑張っていれば」なんとかなる。
免罪符なのだろうか。暗示なのだろうか。
私は頑張るのも好きだけれど、それ以上に、駄目でバカな自分自身を受け入れて大切にしたいので、もうそんなことはできないだろうなと思う。
彼女は転がった先に何を得たかったのだろう。何を見ようとしたのだろう。私は、ただの逃避だった。頑張っていれば、どんなに辛いことも忘れられると思っていた。バカだなあ。
でも、そんな話はずっと先でいいや。とにかく、休んでほしい。
突発的に時間ができたので、スコーンを焼いた。
仕事の話をしてるときにふと労りの言葉を受けた。ああ、そうだ、私は人間と仕事をしているんだと思い出して、ぱーっと嬉しくなる。なんだかんだでこの数年、仕事の中身はもちろんだけれど、信頼関係を築けたときが仕事をしていて一番嬉しい瞬間だったと確信する。