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蕎麦を啜る

幼い頃、蕎麦をうまく啜れないことを親に注意され、それがきっかけで苦手になってしまった。うどんもラーメンも啜って食べるものだけれど、特に蕎麦は、周囲から聞こえてくる「ずぞぞっ」という涼し気な音が自分には出せないので焦ってしまい、味わうどころではなかった。私の出す音は「ずぅー」という、啜りの真似事のような音ばかりで、どうしたら周りのように「ずぞぞっ」と小気味の良い音を出せるか、必死で考えていた。

いつの間にかなんなく蕎麦を啜るようになったのだけれど、このコツを掴んだのが一体いつ、どのようなきっかけだったのか思い出せない。少なくとも私が好んで蕎麦を食べるようになったのは大学を卒業してからで、友人とラーメンを食べる機会が増えてきた頃である。蕎麦よりはラーメンのほうが汁気も油も多いので、いくらか啜りやすさがあり、そこから「啜り」を体得したのかもしれない。

当時、啜れない私に向かって両親はよく「吸えばいいのだ」と言っていた。けれどよくよく考えてみると、啜ると吸うのとでは似ているようでだいぶ違う。もし私が過去の自分に「啜る」ことを教えるとしたら、「熱い液体を口に含むように、唇をすぼめながら少しずつ口にいれればよい」と説明すると思う。まあ、こんなことを伝えても解決しないだろう。啜るというのは自転車の漕いだりや泳ぐのと同じように「体で覚える」類のものなのだ。そういえば私は、自転車に乗れるようになるのも随分と時間のかかった記憶がある。昔から人よりも一歩二歩遅れている。

とにかく、冷静になって考えれば考えるほど、麺類は啜って食べるものという常識は滑稽なものだと思う。香りがより感じられるからという理屈はわからないでもないけれど、食べ方なんて好きにすればいいじゃないか。啜れるようになってからすっかり蕎麦好きになり、時世柄、旅行を自粛するなかでも「蕎麦を食べるために長野に行くくらいは許してほしい」とぶつぶつ言うようになった私は、近場の良店を探すのが最近の楽しみである。

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